昭和54年10月19日 朝の御理解
御理解 第6節
「眼にはみえぬが、神の中を分けて通りおるようなものじゃ。畑で肥をかけて居ろうが、道を歩いて居ろうが、天地金乃神の広前は世界中であるぞ。」
言うならば、私共の住まわせ頂いておる世界は、神愛が満ち溢れておる世界だ。例えば、道を歩いておろうが、畑で肥をかけておろうが、どういう汚い所であろうが、どういう美しい所であろうが。神様のお広前であると言う事は、天地の親神様の御親愛が満ち溢れておる世界だと言う事なんですね。そこに例えば、どこが良いとか悪いとかと言う事はない。それをあるかのように思う事は迷信である。方角が良いとか悪いとかと言う様な事もそうである、どこも神様のお心が満ち溢れておる所である。
それを合楽では最近、そうした世界中であると言う事の中身に、言うならば迷信の世界、言うならば罪やけがれの世界、因縁の世界、輪廻の世界ね、そういう世界をも、天地の親神様の御慈愛の満ちておる世界であると、言うならば喝破したわけですね。因縁と思っておった、めぐりと思うておったね、又は罪とかけがれとかと言う世界ね。そこも私共の心一つで、開けてれば愛の世界であると言う事がわかったと。因縁の世界を開け見たら中は愛の世界であったね。
私共の住まっておる、いうなら世界はと言われるその世界の中には、私共が観念の世界に住んでおった。その観念が迷信をそうだと観念しておった。罪とかけがれとか業とか因縁とか、と言う様な言うならば世界は、私共の心で作るものであって、そう言う世界はないと喝破するね。開けて見ればやはりそこは親愛だと言う事を、合楽では今言われておる。だから、それをそうと私共が観念しなければですね。
清い所も汚き所も清い所は有難いところ、汚なき所は御無礼御粗末の世界ではなくて、その中にも神のお心がある親愛があると悟らせて頂く所から、心の中に自由無碍な世界が開けてくる。自由無碍の世界に住んで、言うならばこだわりのない、しばられる物のない、ね、いわば人間が人間らしゅう生きて行けれる世界が、そこに開けてくる。そこを私共が言うなら実顕実証さしてもろうて確信していく事である。
私の言う事を聞いて、あっそうだなとそれが道理だ、理屈だと分かるだけではなくて、それを体験の上で、成程良い日もなければ悪い日もない、良い所もなければ悪い所もない、みんな神様の御心のこもった世界であると言う事が分かってくる。だからどうしてもひとつ合楽理念の実験、そして実証を積んで、なるほど、それを私共がよけるような事をせずに、その中に私共が入っていくと言う事。十三日と言う悪日と言われとった日の中に、それを親愛と喝破したという、してあるのはそう言う意味なんです。
私共から十三日と言う日を取り除いたらよかろう。と言う様にあった世界から、いやむしろその十三日の中に親愛があったんだと分かってきた。あぁしてはいけない。こうしては御無礼と思っておった事の中に、それが人間の幸福の為ならば、人間の喜びの為ならば、いわば全ての事に御の字をつけて行く生き方が、合楽で説かれるようになった。そう言う信心を身に頂いて初めです、成程金光大神が言われる、神の広前は世界中である。と言う本当の内容がわかった事になるのじゃないかと。
今日皆さんに聞いて頂いておる事は、これはまた新たな表現ですよね。例えば、日本もなからなければ中国もない、ヨーロッパもなからなければ、そのうもうどこでも、ここでもが神様の、言うならば、お守り下さってある世界である、と言うふうにだけ頂いておったね。道を歩いておっても、田や畑で肥をかけておっても、やはり神の広前であると説いてあった。
ところが、それのもう一つ裏づけになるいうなら心の世界も、又は迷信の世界も、罪やら因縁やらの世界にですら、神様の思いが込められておる。開けて見なければ分からない、開けて見れば愛であると言う事が分ったと言うのが合楽理念。そこで合楽理念を実験して実証さしてもろうて、成程十三日はなら13日は悪日じゃない、神愛の日として。皆さんが実感ができるところにね、十三と言う日を尊ばしてもらう。
昨日でしたか、久留米の稲垣さんが今度ある所に就職のお願いをしておられた。沢山の応募者の中から、わずかに絞られて、まぁ若い奇麗な方ばっかりにこう絞られとったそうですけれども、私の様に年をとった者もその中に入っておった。そして番号をもらった時に十三番じぢゃった。いやぁもうこりゃこれ頂いただけでおかげと思うとつたら、「働いて下さい、しかも十年間は辞めてもらってはいけない」と言った様な、ま色々なこちらの好条件の中に就職する事が出来た。と言う意味のお届けがございました。
番号が十三、はぁこれが合楽以外の人だったらね。十三と言う悪い、十三日は悪い日とこう観念しておる人にはね、それは困った番号でしょうけども、合楽で言うならば十三日は悪い日も良い日もない。むしろ親愛の日だと言う風に分からして頂いておる。そういうふうに私共の観念の中にです。心が有り難い。自由無碍なそれこそころころと有難い方へ、自分の心を転がして行けるような世界に住まわして頂くと言う事が金光様の御信心、それが教祖金光大神が仰るいわゆる金光大神の世界、生神の世界ね。
それを私共が分からせて頂く為には、そこに因縁の世界があったり、業の世界があったりの、罰とか罪の世界があってはならないと言う事ね。そういう観念を一掃して迷信の世界から、正しい事を信じれれる世界に住み替えさせて頂くと言う様な事をです、今日はこの六節から、ただ表面だけが説かれてあるこれは御理解ですけれどもね。これを信仰的な内面的な所へまで、その「金乃神の広前は世界中である」。
と言う金乃神の世界が、そう言う心の世界。迷信と思うておったその世界の中にも、開けて見れば愛であったと言う事を分からしてもらう。それを分かっただけではなくて、それが本当の事と観念出来るところまで実験する、ね。実証して行って確かにそうだ、と私共が確認していく。そう言う稽古に、本気にならしてもらわなきゃならんと思うです。
どうぞ。
因縁の世界業の世界そういう世界は、そういう観念が命取りと言う事を頂いたです。例えば自分は因縁が深い、罪が深いと思うとるのが、結局命取になるんですね。そういう観念しているから、それを今合楽ではね、因縁じゃない。いうならばそんな事が罪になるのぢゃない、むしろ御の字をつけて行けば、喜んで下さる程しの神様の働きの中にあるんだ、と言う風に教えておる。だからそれをそんなと言うのじゃなくて、「そうだそれが本当だな」、と実験さしてもらうと言うのは、実証さしてもらわなければ、それを信ずる事が出来ませんよね。聞いて頭で分かっただけぢゃいけません。
どうぞ。